「リザバーコンピューティング(レザバーコンピューティング)」という聞き慣れない技術が、今、産業の現場に新たな可能性をもたらそうとしています。人工知能(AI)分野ではディープラーニングが主流と言われる中、少ないデータで高速学習できるというこの技術が注目され始めています。
リザバーコンピューティングの研究開発を先行して進め、エッジコンピューティング分野で独自のポジションを築きつつあるセック。リアルタイムシステムの開発で長年培ってきた技術を武器に、大学や半導体メーカーと協力しながら新技術の実用化を目指しています。
今回は、セックのエッジAIプロジェクトをリードしているM.N.さんとY.T.さんに話を聞き、リザバーコンピューティングに関わる研究開発の舞台裏を探りました。
M.N. フェロー
Y.T. 開発本部第二開発ユニット テクニカルマネジャー
M.N.さん
当社はこれまでロボットや宇宙開発など、リアルタイム性が求められる分野での開発を数多く手がけてきました。こういった分野へのAIの適用がニーズとして生じてきたわけですが、AIに適していると言われているGPU(Graphics Processing Unit)は消費電力と発熱量が多く、ロボットや宇宙機などの「エッジ」に搭載するには不向きです。世の中のGPUブームに違和感を抱いていた時に出会ったのが、FPGA(Field Programmable Gate Array)という集積回路でした。2016年頃のことですね。CPUの20~30倍のスピードで画像処理をこなすFPGAのデモを見て圧倒されたのを今でも覚えています。しかも熱も出さず消費電力も少ない。GPUよりFPGAだとなったわけです。
Y.T.さん
ところが、FPGAはもともと電気回路設計のために使われてきたもので、ソフトウェア開発をするための環境が何も整っていない。当社単独での研究開発は難しいと、2017年から九州工業大学と、FPGAを用いたロボット用知能処理の回路化をテーマに共同研究をスタートすることになりました。うちのメンバーも大学の先生方も最初は試行錯誤の連続でしたね。でも「ゼロから新しいことを生み出す」という文化が当社にはあります。辛いことも多かったですが、ソフトウェアエンジニアがFPGAにプログラムを実装するための手法を形にすることができました。
M.N.さん
こうしてノウハウを培ったFPGAに、リザバーコンピューティングを実装したエッジAIの開発に取り組みはじめたのが2022年のことです。リザバーコンピューティングはAIを実現するアルゴリズムのひとつなんですが、少量のデータで短時間で学習を完了できることが大きな特徴で、エッジAIに適しているんです。大量のデータと学習時間を要する従来のAIの常識を覆す技術ですよね。何もわからないところから始めて、実用化の目途がたつところまでこれたわけです。
M.N.さん
かつてロボット分野を立ち上げたのですが、そのときも「本当に採算が合うの?」みたいな話は当然ありました。でもセックには「何か面白いことをやってやろう」という雰囲気があって、実際にやり始めても、途中で止められることはありませんでした。失敗すれば多少言われますが(笑)、だからと言って「もうやめろ」とはならない。ロボットに関しては2003年から始めて、車両自動走行など売上に貢献できるようになるまで10年以上かかったんですよ。今回のエッジAIも同じで、長期にわたっての粘り強い研究開発が必要でしたが、会社から止められることはなかったですね。
Y.T.さん
会社として「チャンスは蓄積できない」という考え方があって、「やらない・できない理由を考えるより、どうやったらできるか考えろ」と常々言われているわけなんです。こういう企業姿勢の後押しもありましたね。もちろん、結果が出ない期間が長引くと周囲から不安視されることはあるんですけど、「新しい領域での先端技術」に対する期待の方が大きかったと感じています。
Y.T.さん
たとえば製造現場を例にすると、カメラやセンサーを大量に取り付けなくても、マイクひとつで「正常動作の音」を学習して、製造装置に何か異常があれば検知することが可能になります。また、従来であれば、異常を検知するためには、大量のデータをクラウドで処理する仕組みが必要でした。でも、リザバーコンピューティングを搭載したエッジデバイスを機械ごとに設置すれば、「少ないデータ」で「その場」で学習・推論できます。
M.N.さん
「環境差や個体差への適応」という大きなメリットもあります。同じ機械でも、長年使っていれば摩耗具合はバラバラでしょう?設置場所によっても差が出てくる。 それを学習済みの同じモデルのAIだけで判断しようとすると、正確さに限界が生じる。でもリザバーコンピューティングであれば、少しのデータでパパッと学習を更新できてしまう。つまり、一台ごとに「その場で最適化」したAIを実装できるわけです。
M.N.さん
セックは1970年創業の長い歴史の中で、交通や医療、防衛、官公庁といった社会基盤分野から、今の通信を支える基幹ネットワークシステムに、モバイル分野まで、幅広い分野で収益基盤を築いてきました。その上で先端技術重視の方針を打ち出していて、毎年一定の研究開発予算が確保される仕組みもあり、リザバーコンピューティングのような先端技術に腰を据えて投資することができたんです。
Y.T.さん
大切なのは、研究開発投資と並行して実際の開発案件で売上も作る、その両輪が回るような社内体制でしょうか。ロボットやAIのR&Dは未来を見据えた取り組みですが、既存事業の安定した収益があるからこそ継続できる。「多少の時間がかかっても、結果的に会社の強みになる」という理解があるんです。
M.N.さん
はい。2022年にNEDOの公募事業「高効率・高速処理を可能とするAIチップ・次世代コンピューティングの技術開発」の委託先として九州工業大学などと採択され、リザバーコンピューティングを搭載したエッジAIチップの開発を進めています。たとえば今のマイコン実装よりもさらに省電力に動作し、一層高い適応性が得られる可能性があります。将来的には「植物電池や小さなソーラーパネルでも実用可能なエッジAI」が実現するかもしれません
Y.T.さん
研究開発段階だったものが、今まさに事業化に向けて動き始めたフェーズに入り始めた段階です。例えば、当社はローム株式会社の「Solist-AI™」エコシステムパートナーに参加したのですが、商用LSIへのリザバーコンピューティングの搭載は世界でも珍しい事例となりました。
打音検査やFA機器の稼働状況監視といったユースケースに向けて実証を重ねているところです。

- 拡大
- 缶ジュースの打音を識別するリザバーコンピューティングのデモの様子。わずか数回、缶の打音を取得するだけで学習が完了する。
M.N.さん
今後ますます「現場」でリアルタイムにAIを動かすニーズが高まると思います。私たちが注目しているのは、産業用IoT(IIoT)やスマート工場の分野。これまでは大規模サーバーを用いたクラウドAIが中心でしたが、「省電力で機器ごとの微調整がきく」というリザバーコンピューティングの強みがいかされる局面は確実に増えていくでしょう。
また将来的には、単なる工場の自動化だけでなく、農業やインフラ監視、ロボットや医療機器への応用も考えられます。社会を支えるあらゆる現場でリザバーコンピューティング搭載のエッジAIが活用されていくでしょう。
Y.T.さん
私たち自身、「皆さんの身の回りで、リザバーコンピューティングが当たり前に使われている」世界が来ると信じています。とはいえ、まだ技術的にも市場としても発展途上なので、まずは製造業向けの具体的なソリューションをしっかり形にし、そこで得た実績を横展開していきたい。小さな工場でも導入しやすいようにハードとソフトを整えていくのが直近の目標です。
今回のインタビューで強く感じたのは、リザバーコンピューティング×エッジAIが持つ「省電力で、個々の機器や環境に合わせて学習・適応できる強さ」です。データセンターの電力消費問題が深刻化する中、「すべてのAIをクラウドでまかなう」構図には限界があるかもしれません。
その点、セックが取り組んでいる「現場のエッジで学習するAI」こそ、日本の製造業や地方の中小企業が抱える課題を解決し得る大きな鍵となり得るのではないでしょうか 。熟練者の「勘と経験」が支えてきた現場で、スマートフォン程度の小さなマイコンが、リアルタイムに「異音」や「微妙な変化」をキャッチしてくれる。その仕組みが普及すれば、人手不足や技術継承の問題を一気に解消できるかもしれません。
少子高齢化、エネルギー問題――日本が直面するこれらの困難に対して、「最先端のテクノロジーを現場仕様に落とし込む」取組みは、今まさに必要とされています。
「小さいからこそ、柔軟で強い――。エッジで現場が『賢く』なる時代は、もうすぐそこまで来ています」
そう締めくくるお二人の言葉には、日本の未来を支える新しい知能を形作る確かな手応えが感じられました。
(取材・文/セック・広報担当)












